030 鉄
今日も俊は日が沈む時間になっても一人、公園に残っていた。
先ほどまで一緒に遊んでいた子供たちは、
一人また一人と母親に迎えにこられて帰っていった。

「ふんだ」
最後にポツンと一人残された俊はコツンと小石を蹴飛ばして鉄棒まで走り寄った。
グッと鉄棒をつかみ足を蹴り上げてぐるっと回る。

いつの頃からか俊は涙を見せなくなっていた。
母一人、子一人の真壁家では、母の華江が働いて生計を立てている。
母はいつも優しかったが、俊が淋しい時にはいつもそばにいてくれなかった。
仕方がない・・・。いつしかそう思うようになった。

「どうしてうちにはお父さんがいないの?」と無邪気に尋ねる俊に、母は、決まって悲しげな顔をして見せた。
これは聞いちゃいけない・・・
俊は感じる。
泣けば母を困らすことも分かってきた。
少しずつ大人になっていく。

悲しい、淋しい・・・そんな気持ちを人一倍抱えながらも
俊はもう表に出さない。出せない。
グッとこらえて逆上がりを続ける。
もやもやした感情を振り払いたかった。
がむしゃらに逆上がりを続ける。


一人の小さな女の子がじっと見ていることに俊はしばらくして気がついた。
「・・・なんだよ、お前。あっち行けよ」
ひねくれてしまった口からはこんな言葉しか出てこない。
同じくらいの年かなと俊は思ったが、見たことがない。

「あなた、上手なのね。そのぐるぐる回るの・・・」
きつい言葉に動じることもなく、にこっとして女の子は俊に話しかけた。
(なんだ?こいつ。逆上がり知らねえのか?)
変なやつと思いながらも、普通の女の子なら泣き出して逃げてしまうのに・・・と
俊は調子を崩されてストンと地面に足をついた。

「・・・こんなの簡単だよ。よっ」
もう一度俊は地面を勢いよく蹴って得意げに逆上がりをしてみせる。
「わ〜。すごい!!私もする!」
持っていた袋を地面に置いて女の子は鉄棒を握った。
「せーのっ!」
という言葉に合わせて少女は足を蹴り上げたが、
その足は空中でばたばたとバタつかせただけで、回りきることなく、
そのままどたっと地面に落ちた。
「あっれ〜?もう一回・・・」
女の子は再度挑戦して見るが、何度しても結果は同じ。足は空を切るばかり。

「あ〜ん、できないーー」
トタトタと小さく地団駄を踏んで女の子は悲しげに声を上げた。
自分の前でこんなに素直に気持ちを表す女の子は俊にとって珍しかった。
普段なら突き飛ばして走りさる俊だったが、今日はつられてしまうのか、
何故か素直な気分になる。
「さ、さわぐなよ。ほら、手伝ってやるから、もう一度・・・」
半泣き状態の女の子はそういう俊を見て、もう一度にこっとしてうんとうなずいた。

鉄棒を握り締めて足を蹴り上げる。
俊は女の子の足をぐっと上に押し上げて鉄棒の回りをぐるっとさせた。
まっすぐな黒い髪がさらりと俊の鼻をくすぐった。
俊の胸がキュンとなる。
初めての経験に俊はわけがわからず、ん?と首をかしげた。

「わ〜、できた〜♪」
鉄棒の上で、腕で体を支えて、女の子はきゃっきゃとはしゃいでいる。
「どうもありがとう。」
満面の笑顔でお礼を言われて俊はぽっと赤くなる。
「べ、別に・・・」
「あっ、帰らなきゃ。・・・またお母さんに怒られちゃう」
ストンと地面に降りて女の子は置いていた袋を手に取った。
「お買い物。」
えへっと笑って女の子は首をすくめた。

そのとき、さわっと心地よい風が吹いて二人の間を駆け抜けた。
少女の長い髪が揺れてもう一度俊の鼻をくすぐる。
何だか懐かしい・・・。ふと俊はそう思った。
見たこともない子のはずなのに・・・。遠い昔にどこかで会ったことがあるような・・・
妙なデジャビュに襲われる。
何だ?俊は首をかしげる。
少女のほうも目をぱちくりとさせて、じっと俊を見ていた・・・。

「俊ーー?」
公園の入り口の方から華江が姿を現し、二人のところに近寄ってきた。
「俊、ここにいたの?帰るわよ。あら?新しいお友達?はじめましてかな?」
華江は少女の方を覗き込んだ。
「こんにちわ」
にこっと女の子は華江に微笑んで言った。
「じゃあ、またあそぼうね。ばいばい」
くるっと振り返って女の子は駆けていった。
俊はその後姿をじっと見つめていた。

「どうしたの?俊。あー、気に入っちゃった?あの女の子♪」
母のからかいに俊は真っ赤になる。
「ば、ち、ちがうよ。そんなんじゃないよ。・・・ただ・・・」
「ただ?」
「・・・あいつ、どっかで会ったことがあるような・・・初めて見たはずなのに・・・」
いつもと違う俊の様子に華江は何だかほほえましくなって笑顔で俊の手をとった。
「さ、私たちも帰りましょ。また会えるわよ」
「・・・うん」
華江に手を引かれながらも俊は何度も後ろを振り返っていた・・・。



(あのときの夕焼けと同じ色だな・・・)
俊はベンチに座って子犬と戯れている蘭世を見ながら
幼い頃のことを思い出していた。
(あの女・・・そういえば江藤に似てるか・・・)
「見てみて真壁くん。かっわいーでしょー?」
子犬を抱えて俊のそばに蘭世が寄ってきた。
「おまえ、逆上がりできる?」
俊はふと蘭世にたずねてみる。
「何?突然。ど、どーせできませんよ〜だ。いーもんね〜。鉄棒なんかできなくってもね〜」
蘭世はそう子犬に話しかけてもう一度子犬とともに俊から離れた。

(・・・・・・ま、そんなに都合よくはできてねえか)
俊は柄に似合わないことを考えていた自分にふっと笑って大きく伸びをした。
夕焼けの空がどこまでも続いていた。





あとがき

少女が蘭世であったかどうかはご想像にお任せということで。
お題は「鉄」でしたが、鉄棒と思い出したらもう他が考え付かなくなったので
鉄棒がテーマになってしまいました。

私もはじめ逆上がりができなかったんですが、ある日突然できるようになりました。
なんでだろ?^^;
よく早く帰ってきなさいと怒られるまで遊んでいた記憶があります。
夕焼けを見て幼い頃のことを思い出しました。