たまにはこんな幸せ













蘭世の調子は朝から思わしくなかった。






昨日の夜は、泣きながら布団に入ったまま眠ることもできずに夜が明けた。
いっそ、何もかも忘れて眠ってしまいたかった。
目が覚めたら昨日のことはすべて夢だったかのように思いたかった。

明け方、少しうつらうつらとしたように思う。
だが、それが一瞬であったということは、充足感の全く得られていない体が証明している。

重い体をゆっくりと起こして、ベッドから起き上がり、蘭世は右手で額から長い髪をかきあげた。
そして、ため息を漏らしながらゆっくりと瞳を開いた。

昨日のやり取りが頭の中によみがえる。





     *****     *****     *****





「だから関係ねえって言ってるだろ」

「でも私、呼び出されて言われちゃったんだもん」

「だから何をだよ」

「・・・・・・真壁くんの部屋に行った・・・って・・・」

「・・・・・・」

「私、嘘だ!って言ったけど、あの人、真壁くんの家の様子とかいろいろ詳しく知ってたし・・・」

「・・・・・・」

「どうなの?それってホントの話?」

蘭世の眉はハの字のように両端がさがり、今にも泣き出しそうな目で俊を見つめていた。
問い詰められた俊は顔を横に背け、無表情のまま小さく息をもらした。

「ねぇ、真壁くん!」

「うるせえな。ホントの話だよ」

「えっ・・・!?」

俊の答えを聞いて蘭世は一瞬、耳を疑った。
答えを理解できないまま、蘭世は俊から視線をそらし、目を宙にうつろに漂わせた。

「えっ・・・何?どういうこと・・・」
俊に言うわけでもなく口から独り言のようにぽそりと心情が出た。

「別に何もねえよ。タオルを貸してたことがあって、それを返しにきただけだ。俺はもういいって言ってたんだけど・・・」

俊は部室の壁にもたれて両腕を組んで言った。

「それだけで家に入れるの?」
蘭世はうつむいたまま言う。

「はっ?」
俊はきょとんとした顔で蘭世を見た。

「だって、それくらいなら別に部屋に入れる必要ないじゃない。」

「んなこといったって、アイツが勝手に・・・」

「真壁くんに、スキがあるからだよ!あの子かわいいし、真壁くんもまんざらじゃなかったんじゃないの!?」





こんなことをいうつもりなんてなかった。
酷く嫌な顔をしていることもわかっていた。
ただのヤキモチなだけであった。
しかし、一度口から出始めた気持ちは、押しとどめられずに一気に外へと出された。



「どういう意味だよ」
俊の口調のトーンが変わる。
明らかに不機嫌になった声だ。

「部屋で・・・二人で・・・何してたのよ!」

涙だけは見せまいとぐっと堪えた。
だが、それを堪えようとすればするほど、口からは酷い言葉があふれ出してしまう。

「だから何もあるわけねえだろ。何考えてんだ」

何もあるわけがない。
そう思いたかった。信じたかった。
だが、彼女は蘭世にこう告げた。


〜私・・・真壁くんに・・・抱きしめられてキスされちゃった・・・〜


蘭世は頭が一瞬にして真っ白になった。
まるで自分が見てきたかのように、俊の彼女の姿が脳裏によぎる。
二人の抱き合う姿が、蘭世の胸を苦しめる。
そんなはずない・・・そんなはずがない!
真壁くんに限ってそんなこと・・・
しかし、一瞬にして蘭世の心を蝕んだ悪意は純粋に信じる心までも犯そうとしていた。


ついに涙が蘭世の瞳から、心から、あふれ出した。
信じたい。
でも信じられない自分。
俊の怒りを伴った低い声も、
嘲笑じみた彼女の声も、
全て蘭世の胸をえぐるように切り裂く。

こぼれ始めた涙はとどまることなく溢れ続けた。





蘭世の心の叫びを聞いた俊はふぅとため息をつきながら、
そっと蘭世の頬に手を当てて言った。
「・・・お前は俺が信じられないか?」

俊は蘭世の瞳を見つめる。
しかし、蘭世にとってはいつもは愛しいその目も、今はせつなさを感じるだけのものでしかなかった。

「・・・・・・」
蘭世は黙ったまま見つめ返すと、俊の手をふりほどき、その場から走り去った。





     *****     *****     *****





腫れぼったい目を気にしながら、蘭世は登校し、自分の席に座った。



周りは自分が気にするほど、蘭世の不調には気づきはしない。
いつもどおりの教室、いつもどおりの笑い声。
だが、そのいつもの輪に入る気分にもなれず、蘭世は静かに机にうつ伏した。



蘭世は俊を信じられない自分に相当嫌気が差していた。
いや、全く信じていないわけではなかった。
見つめてくれる瞳に偽りなどないことは、蘭世自身が一番わかっているのだから。
ただ、宣戦布告ともとれるあの女性の言葉をまるっきり無視できるほど、蘭世の心は確かなものではなかったのだ。

自分の気もちではなく、俊の気持ちというものが確実には目に見えない分、何を心のよりどころにすればいいのか・・・。

普段からクールな俊との交際は、果たしてそれを交際と呼んでいいものかどうかもわからないぐらいの坦々としたもので、かといって、俊から確かな愛の言葉を聞けるわけでもなく、時折、蘭世は自分が一人芝居をしているような気にさえなる。

俊が他の女性と・・・なんてことは想像もつかなかったが、だからといって、俊が自分を愛し続けてくれるという保障なんてない。

2千年前の・・・だなんていう話は、支えにできるほどの力は持っていなかった。



両腕を枕にしながら蘭世はそのまま顔を横向けた。
窓際の席から見える空は冬の空とは呼べないくらいの晴天であった。
外に出ればきっと寒いのだろうけれど、そんなことも忘れてしまうくらい、空気は暖かそうに見えた。

(雨とか雪とかじゃなくてよかったな・・・)

蘭世はぼおっと外を眺めながらそう思った。
天気まで悪いとさらにわをかけて自分の心が沈んでしまいそうだった。







「蘭世?」
クラスメートの一人が、うつ伏したままの蘭世に声をかけた。
「どうしたの?今日、朝礼だよ。講堂に行こ。」

蘭世ははっとして顔をあげた。

「どうしたの?その目・・・何かあった?」
クラスメートもさすがにその距離で蘭世の表情を見ると普通ではないことに気づいた。

「あっ・・・ううん。昨日の夜、泣ける本読んじゃって・・・寝不足なの」
蘭世は余計な心配をかけないように、無理に微笑んで言った。
「・・・そう?だったらいいけど、無理しないでよ」
友人は椅子から立ち上がった蘭世の背中をポンと軽く叩きながら言った。
そのさりげない優しさが、蘭世の心にきゅっと響く。
蘭世は涙が溢れそうになるのをこらえて、もう一度笑顔を作った。





     *****     *****     *****





友人との他愛もないおしゃべりは、予想以上に蘭世の心を紛らわせていた。だが、朝礼が始まり、黙って立ってシスターの話を聞いていると、蘭世の心はまたしても曇ってきた。

先ほど、講堂に入ったときにちらりと見かけた俊の姿も、同時に思い出されて、隣の列の後ろの方に立っているであろう俊の存在が妙に気になって、蘭世はうつむいた。
話に集中して聞こうとしても、どうしてもまた嫉妬と後悔の念に襲われる。胸が締め付けられる。
ぎゅっと目を瞑って涙を堪える。
いろんな想いが心の中を駆け巡って、蘭世はその瞬間頭が真っ白になった。





     *****     *****     *****





バターーンッ!!!

突然で、そして一瞬の出来事だった。
睡眠不足がたたったのであろう。
蘭世はそのままその場に崩れるように倒れこんだ。
蘭世の周りに一瞬、さっと輪を描いたような空間ができた。

「蘭世っ!!」

蘭世の後ろに並んでいたクラスメートが思わず叫んだ。

そして、隣にいた男子生徒が蘭世を助け起こそうと身をかがめようとする前に、後ろの方から、いつの間に来たのかと思うぐらいの速さで、
俊が蘭世の側に駆け寄ってきていた。

俊が一瞬、その男子生徒を睨んだ。
彼はその目力に慄いてそのまま立ちすくんだ。



「江藤!」
俊が腕を蘭世の頭の後ろにまわし、もう片方の手で軽く頬を叩いたが、蘭世は目を開く様子はなかった。
顔色は青白く、額は冷や汗で湿っていた。

俊はチッと小さく舌打ちし、唇と噛みしめ、そのまま両腕で蘭世を抱きかかえた。
「保健室に連れて行きます」
俊は側に来ていた担任にそう告げ、驚きと心配と羨望で何も言えずに眺めているだけのギャラリーをその場に残したまま、立ち去った。





     *****     *****     *****





俊は自責の念に駆られていた。

養護教諭は疲れと寝不足のようだから寝かせておいてあげなさいと言って、俊と蘭世を保健室に残し、講堂に戻っていった。

俊は先ほどよりは幾分呼吸を落ち着けて眠っている蘭世の額にそっと自分の手を置いた。
体温も戻ってきているようだ。
俊はほっと安堵の息をもらした。



こうなってしまった原因は自分にあることはわかっていた。
蘭世のことだ。
きっといらぬ心配をしたり、自分を責めたりして夜通し泣き続けたのであろう。
蘭世が泣いて立ち去るのをちゃんと引き止めて、誤解を取り除いてやればよかったのだ。
ちゃんと言葉で態度で示してやればよかったのだ。
それだけでよかったのだ。
・・・・・それなのに・・・・・



「・・・・・蘭世・・・」



俊は蘭世の頬や頭を撫でながらそう小さくつぶやいた。
そのとき、蘭世はきゅっと一瞬目を顰めたあと、ゆっくりと瞼を開いた。

瞳だけをきょろきょろと動かし、右方に俊の姿があるのをとらえると蘭世は
目をぱっと大きくひらいて「・・・真壁くん・・・」と小さく言った。



「・・・私・・・」

「朝礼の途中でぶっ倒れたんだよ。ここは保健室」

「・・・そっか・・・・・・真壁くんが運んでくれたの?」

「・・・まぁな・・・」

ポリポリと照れながら鼻をかく俊の姿を見て蘭世はふふっと微笑んだ。
そんな姿は自分だけにしか見せない。
蘭世はそう思うと、急に切なくなって瞳が潤んだ。

「・・・ありがとう」
蘭世は小さくそう言った。




「・・・お前、またくだらないことで悩んだりしたんだろ」
俊は両腕を組んで蘭世を睨みつけながら言った。

「・・・だって・・・」

「弁解する前に帰っちまうし・・・」

「・・・・・・」

「追いかけなかった俺も悪かったんだけどな」
俊は微笑みながら蘭世の髪に自分の指を通した。

蘭世は黙って俊を見つめ続けた。

「ホントにあの女は勝手に来て勝手に入ってきただけだ。名前も知らねえし」

俊が勢いよく弁明するのが珍しく、蘭世はちょっと呆気に取られながらも、うんとうなずく。



「・・・・・」
しばらくの沈黙のあと、俊ははぁと息をついた。
「何でこの俺がこんな言い訳めいたことしてんだ?」

蘭世は俊の言葉を聞いてクスクスと笑った。

「・・・でも・・・うれしい」
蘭世はそういってニッコリと微笑んだ。



「・・・ったく・・・なんで俺がこんなガキに惚れちまってるんだろ・・・」
俊が窓から遠くを見ながらぽそりと言った。

「・・・ん?何?今なんて言った?」
蘭世はがばっと起き上がり俊にすがりついた。

「うるせえ!二度と言うか!」

「何よぉ・・・」
蘭世はまたぱたっとベッドに倒れこんだ。



俊は横になった蘭世を睨みつけていたが、ふっと顔をほころばせると、
ゆっくりと蘭世の唇に自分の唇を合わせた。






     *****     *****     *****





「あ、蘭世大丈夫?」
お昼休みに戻ってきた蘭世にクラスメイト達は揃って声をかけた。
「うん。眠ったらよくなった」
蘭世はそういってえへっと首をすくめた。
「もう、心配させないでよ〜」
「ごめんね〜」
「でもさ、真壁くんかっこよかったよね〜」
「そうそう、駆け寄るのめちゃ早かったしね〜」
「この〜幸せもの!!」
「あはははは〜(そうなんだ。真壁くんかっこよかったんだ〜〜vvエヘヘ)」
蘭世は周囲にからかわれながらも俊の行動を想像するとうれしさがこみ上げた。
あの照れやな俊が周りの目を気にせず、自分を心配して助けてくれたことがうれしかった。

視界の端に例の女性がこちらをにらみつけているのを蘭世は感じ取っていた。
だが、もうそんなものは気になりはしなかった。
蘭世は太陽が朝より高く上った空をまた眺めた。
(お天気でよかった・・・)
蘭世はそう心の中で言って、にっこりと微笑んだ。








<END>





あとがき

chikakoさまから頂いたキリリク作品でした。
リク内容は

>高校時代の俊×蘭世がいいですねぇ。それも甘々〜なヤツ!
>昔学校の朝礼とかで、貧血で倒れるヤツとかいたじゃないですか。
>蘭世ちゃんに思いっきり倒れてもらいてぇ〜!そしてそれをすかさず俊に支えてもらいたぁ〜い!
>なおかつそのままお姫様だっこで保健室に連れて行ってもらいたぁ〜い!それを他の生徒がうらやむって構造がいいなぁ


ということでしたが、いかがでしたでしょうか。
もっとねぇ、羨望度を出したかったんですが、倒れるまでの設定が長くなってしまって、なかなか出せずに、というかどう出せばいいのかわからずに、
こんな程度で終わっちまいました。
ギャー、chikakoさま、イメージかなり崩しちゃいましたよね。スミマセンです。こんなものでもよろしければ、どうぞご笑納くださいませ…

中途半端だったので俊サイドとか、例の女サイドとかでも書きたいな〜と思いますが・・・
まぁ機会と時間があれば・・・^^;







←back