心の行方
暑い夏の日だった。
ジムから帰ってきた俺はポストの中の郵便物の束を取りマンションの中に入ろうとしていた。
高校を卒業して1年半、ボクシング界に華々しくデビューを果たし、チャンピオンの座も手に入れ、防衛戦も順調に勝ち続けていた。
収入も急激に増え、半年前以前のぼろアパートから現在のマンションに越してきた。
今は何の不自由もない。
誰が見ても幸運な男に映る。
そう、俺以外を除いては・・・。

たくさんのダイレクトメールを抱えて、ドアの前に来たとき一人の女がドアの前にうずくまっていた。
川向ユキ。
今所属しているジムのオーナーの娘だ。
「お帰りなさい」
「・・・またあんたか」
「そろそろ帰ってくるかなって思って待ってたの。夕飯まだでしょ?作る。入っていい?」
「勝手にしろ」
鍵を開けて部屋に入る。
俺は郵便物を無造作にテーブルの上に投げる。
勢いでそれらはテーブルから落ちた。
「相変わらず機嫌悪いのね。この前も勝ったんでしょ?何が不服?」
「あんたには関係ねえ」
「・・・そうやってまた私を突き放すのね。でもそういう影のあるところ・・・好きよ」
ユキは俺の背中に寄り添う。
「用がないなら帰ってくれないか、疲れてるんだ」
ユキの手を払いのけて俺はソファーにどかっと腰を下ろした。
「・・・私、そんなに魅力ない?」
「・・・」
「あなたのためなら何だってするのに!」
「・・・あんたに俺は手に負えねえよ」
「・・・じゃあ、誰ならいいの?・・・好きな人いるんでしょ?」
「・・・別に」
「うそ!この前ジムで仮眠取ってたとき・・・あなた誰かの名前を呼んでたわ。うわごとで・・・」
ユキの目をみる。
「・・・覚えがねえな」
「誰なの?硬派なあなたが夢にまでみる女って。あなたをそんなに苦しめてる女って。私はそんな女に負けやしないわ!あなたを一人でほっといたりしない!」
「うるせえ!お前に何がわかるんだ。あいつのこと悪く言うのはよせ!」
俺は立ち上がって思わずどなった。
ユキはひるむ。
「・・・夕食の仕度するわ・・・」

俺は気を落ち着かせてもう一度ソファに座った。
馬鹿だ、俺は。
人間なら人間らしく人間の女を愛せばいいものを・・・。
そうするために、自ら遠くに追いやった一人の女を俺は今もなお思い続けている。
もう4年近くになるだろうか。

人間になるって泣き叫ぶのを振り切り、別れを告げたあいつのことを・・・
俺はどうしても忘れることができない。
あいつはその後姿を消した。
噂によると留学で外国に行ったとも聞いた。
神谷や日野たちに何があったと問いつめられたが俺は何も答えなかったし、答えられなかった。
神谷もしばらく俺の後をついてきていたがいつしかもう追っかけなくなった。
俺は想いを打ち切るためにボクシングに打ち込んだ。
俺にはそれしかなかった。
人間として生きていくための手段。
その結果俺は世に認められチャンピオンと呼ばれるまでに成長した。
だが、ぽっかり空いた心の穴は今もまだ埋まっていない。
女とつきあってみたりもした。
だがあいつに敵う女なんていない、いるわけがない。わかっていた、わかっていたのに・・・。
・・・元気なのか・・・?幸せになっているのか?
そのことだけが気がかりだった。

「・・・江藤蘭世・・・」
はっとしてユキの方を見る。俺が無意識に口にしたのかと思ったが違っていた。
「・・・えっ!?」
「江藤蘭世・・・。知り合い?ファンの子かしら。絵葉書、届いてるけど・・・」
ユキが言い終わらない内に俺はユキの手からその絵葉書をもぎ取っていた。


 ”真壁くんへ
   
   お元気ですか。お久しぶりですね。
   私は元気にしています。先日実家に戻ってきました。
   真壁くんの活躍を聞いてびっくりしたのと同時にとってもうれしかった。
   いつまでも応援しています。

   P.S.  住所は神谷さんに聞いたの。
        突然のお手紙ごめんね。
     
                                       江藤蘭世 
                                                  ”

「・・・俊・・・」
俺の目から涙があふれているのを確認するのに俺はかなりの時間を費やしていた。
「・・・まさか、その子なの?あなたの好きな人って・・・」
「・・・帰ってくれないか。一人になりたいんだ」
「・・・そう、わかった。そんなあなた見せられたら。。。もう、もう来ないわ」
俺はただ立ちつくしていた。
こんな簡単な文章が俺の心を締め付ける。
「・・・江藤・・・」
名前を口にするとさらに涙があふれ出た。
あの日以来、ずっと口にするのを避けてきた。
今まで押さえていた感情が言葉と涙と一緒にあふれてくる。
俺は声を殺して一人で泣いた。
初めて泣いた。


次の日は朝早く目が覚めた。
ぼーっとしながら、ゆっくりシャワーをあび、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
たまっていた掃除も洗濯もすませた。
そしてハンガーにかけっぱなしてあったTシャツに着替え俺は出かける支度をする。
今更行ってどうするんだ?どんな顔して会うんだ?
でもこのままじゃ何もできない。何も手につかない。もう限界だった。
あいつだってこの葉書を出すのにかなりの勇気を出したはずだ。
俺だって。。。よりを戻せるなんて思ってはいない。
ただあのときついた嘘を、今までの想いを、伝えなければと思った。

マンションを出た。
試合に行くときよりも緊張が走る。
空を見上げて深呼吸する。
江藤・・・
幸せになっていてくれ。。。
江藤の家の方に向かおうとしたときだった。
俺の前に長い黒髪の女性が立っていた。
「あっ・・・/////]
[え、江藤!?」
「あ、あの・・・お久しぶりです・・・」
ちょっと照れたように肩をすくめる。
昔の仕草と変わらない。
「あの・・・葉書届いた?」
江藤がおそるおそる尋ねた。
「・・・あ、ああ。サンキュ。昨日見た。・・・びっくりしたよ」
「ご、ごめんね突然。あの・・・その・・・ちょっと時間ないかな?少しお話したいな〜っと・・・」
江藤・・・。愛しさがあふれる。
「ああ、俺もお前んち行こうとしてたんだ」
「え?」
ああ、きょとんとした顔も・・・何も変わっていない。。。
ただ少し大人になって、きれいになった。
「俺のマンション、そこなんだ。・・・来るか?」
「・・・いいの?」
「ああ」

「どうぞ」
「おじゃまします」
「コーヒーでいいか?」
「あ、うん。・・・きれいにしてるのね」
「荷物が少ねえからな。適当に座れよ」
「・・・ありがとう・・・。あっこれ、チャンピオンベルト?すっご〜い!私ずっと祈ってた・・・あっ」
はっとして江藤が口を閉ざす。そんな姿を見て俺はせつなくなった。
「ボクシングしかしてこなかったからな・・・。お前は・・・その・・・元気にしてたのか?」
「・・・うん、・・・ずっと魔界にいたの。みんなはこっちにいたけど、私だけ。いろいろ勉強したわ。看護婦とか保母さんとか。資格もとったのよ」
すごいでしょーと言って江藤はウィンクした。
「そうか。元気そうだからほっとしたよ」
「人間界生きていくためには手に職がなきゃね」
「もう魔界には戻らねえのか?」
「・・・うん。」
江藤は口を濁した。
「・・・?どうした?」
「真壁くん・・・彼女いるの?」
「・・・・・お前は?」
お互いに聞き合うが二人ともだまり込む・・・。

「魔界にはもう戻らない、戻れない。」
「・・・?」
「今日、話をしたかったのは、、、、そのことなんだけどね・・・」
しばしの沈黙を破って江藤が意を決したように話し出した。
「私がもう一度人間界に戻ってきたのは・・・もう一度、もう一度・・・
真壁くんと向き合うためなの・・・」
「・・・江藤・・・」
「人間としてもう一度出会うため・・・」
「・・・!?・・・人間として?・・・お前、ま、まさか・・・」
俺はじっと江藤を見つめた。
江藤も俺を見ていた。だが以前のような少女の目ではない。
何か大きな壁をのりこえ、何かを決意した大人の女性の目だった。
思わず俺は引き込まれそうになる。

「いろんなこと考えてた。真壁くんのこと、私のこと、家族のこと、友人のこと、過去のこと、そして未来のこと・・・。死のうかとも思ったりした。でも私、死ねないし・・・」
くすっと江藤が笑う。
俺は黙って聞いていた。
「魔界に行ったのは、魔界人としての自分を見つめ直すためだった。魔界人には魔界人らしい生き方があるのかもしれないって。真壁くんとは違う別の人もいるかもしれないって・・・」
俺の眉がぴくっと動く。
「・・・でも・・・何も変わらなかった。3年が過ぎていたわ。でも何も変わらない。悲しさも寂しさも苦しさも・・・。
あの日から立ち止まったまま。。。永遠の命なんて私にはもう酷なものでしかない。
それなら、人間として限りある命を大切にして大好きな真壁くんと同じに位置に立ちたかった。
一緒にいれなくてもいい。ただ同じ立場にいることだけが私の幸せだと気づいた。
同じ立場で向き合いたかった。だから資格もとったわ。真壁くんに頼らなくてもいいように、
一人でも生きていけるように。。。そしてやっと決心がついたから葉書を出しました。
そして、今日ここに来たの・・・」

「・・江藤・・・」
言葉に出来ずにいた。なんと言っていいかわからなかった。
「真壁くん・・・。私はやっぱりあなたが好きです。これでも忘れようとしてがんばったのよ。
でも・・・できなかった。誤解しないでね。責任をとってもらおうと思ってきたわけじゃないの。
一緒にいてなんて言わない。でも気持ちだけは知って欲しかった。もう私は気持ちを押さえられない・・・」
江藤の目から涙があふれ出る。
「あれ?やだな。今日は絶対泣かないって決めてきたのに・・・ごめんなさい」
無理に涙を拭こうとした江藤を俺は抱きしめていた。
「もういい。泣くな・・・。押さえられないのは・・・俺も同じなんだ」
「・・・真壁くん」
涙いっぱいの瞳で江藤は俺を見ていた。
ずっと脳裏に焼き付いていた瞳、忘れられなかった瞳・・・それが今目の前にあり、俺をじっと見つめている。
大きな瞳の中に映る俺がいる。
「・・・お前のことばかり考えてた。気持ちを打ち消すためにボクシングに入れ込んでいたけど、
隙間は何も、どうやっても埋まらなかった。
あのとき、お前を手放したことを、あのとき思わずついた嘘を死ぬほど後悔したよ。そう、俺は実際、死んでる
のと同じだった。お前がいないだけで、たった一人お前がいないだけで・・・」
俺は江藤の唇をキスでふさいだ。
懐かしい感触、今でもはっきり覚えていた。そうだ、この唇だ。。。
長いキスをやめてもう一度江藤を抱きしめる。
「・・・許して欲しいなんて今更俺が言えた義理じゃないが・・・もし、・・・もしお前があの日のことを許してくれるなら、お前を人間にしてしまった俺をまだ好きでいてくれるなら・・・これからはずっと俺のそばにいてくれ。
俺がお前を守るから。命つきるまでずっと守ってみせるから・・・」
「・・・真壁くん・・・。いいの?私・・・昔みたいに・・・真壁くんのそばにいていいの?」
「・・・ああ。お前でないとだめなんだ。お前がいないと俺は・・・」
「・・・うれしい・・・ありがとう・・・真壁くん・・・」


1年後、
俺は今年も防衛戦に勝利した。
試合後のインタビューははじめて心地よく思った。
会場は騒然としていた。
翌日のスポーツ紙には堂々と一面をかざる。
「フェザー級チャンピオン真壁俊電撃結婚!!勝利の美酒をあびる!お相手は学生時代の同級生!」
女っ気が全くなかった俺だ。突然の報告に世間はざわついた。
俺は相変わらず無口だったが俺の顔には確かに笑顔が増えた。
あいつがそばにいるから。。。



あとがき

俊、またもや暗!
人間になったままの二人を書いてみました。ゾーンの思惑などは完璧無視です(笑)
この話の中ではゾーンはとっくに滅ぼされている設定です(今設定しました・・・汗)
最近、別れのシーンから離れられないkauranでございます(^^;)
なんとしても俊に語らせたい病なので。。。
どんな形であれ、俊と蘭世は結ばれるのだろうなと思ってるんですけど、
しばらく離れさせてお互いの存在を再確認してほしいな〜との鬼心から生まれました。
私の個人的な見解では、原作では、あんまり時間がたたずに再確認した感があり、
ゾーンのこともあったので再確認しやすかった状態にいたと思っていましたので、どれだけ時間がたっても、
ふつうに暮らしていても、ふたりの想いはつながってるんだよっていうのを表現してみました。

川向リカは即席で考えた名前です。むっちゃ適当・・・。
もっと終盤でも騒ぎを巻き起こさせたかったんですけど、
二人の世界が強すぎて(笑)玉砕・・・。
入り込めなかったのでさっさと退散させました(笑)

ちなみに、kauranは真壁くんの好きなところの一つとして「江藤」と呼ぶところがすごく好きです。
「蘭世」もいいんですけど、なんだかこっちまでこっぱずかしくなっちゃって・・・(^^;)
「江藤」って呼ぶと胸キュンしちゃうんですよね〜。うはははは。(ばか?)
私も呼ばれたい・・・。