確  信


                後  編

                   





蘭世は、部屋の出窓に手をかけて、空に明るく浮かぶ月を眺めていた。
俊と会わなくなって3日。
たった3日なのに、
今までに経験がないほど、時間がゆっくりと過ぎていた。



蘭世は高校を卒業してから栄養士の専門学校に通っていた。
俊を食事面からサポートしていきたいという気持ちからであった。
いつも、授業を終えると、その後は俊の家により習いたての食事を作る。
栄養を考え、好みを考え、それが蘭世にとって何よりも楽しかった。
わずかなことでも、それが俊の役に立てているということがうれしかったのだ。
しかし、先日それを拒まれた。



今週の土曜は、俊が初めて世界に挑戦する日である。
この日のためにこの数年を生きてきたといっても過言ではない。
この1週間が俊にとってどれほど大事なものであるかということは、理解しているつもりでいた。



たかが、1週間。
されど、1週間。



先日彼から発せられた「・・・来なくていいから」という言葉は、蘭世に大きな衝撃を与えた。
こんなときだからこそ、栄養のあるそれでいてヘルシーなという食事を俊に作ってあげたかった。
ずいぶん前からそのメニューを考えていたぐらいだ。
それなのに・・・。
自分の唯一の取柄を否定されたようで蘭世は突然悲しくなった。
だが、そこでイヤだと言えるほど蘭世は自分の気持ちを押し出せなかった。
俊の重荷にだけはどんな時でもなりたくなかったからだ。
そして、彼の強い眼差しの奥に秘められた大きな決意を感じたからだ。



・・・・・・今はただ祈るだけ・・・・・・



蘭世はもう一度月を眺めながら、その影に俊の面影を映した。

別れ際に無理に作った笑顔は、そのまましばらく元に戻らなかった。
戻らないままなのに、瞳からは大きなしずくが零れ落ちた。
頭で考える理解と心で感じる気持ちは違う。
あのときと同じ味の涙が、今日もまた零れる。
蘭世は右手で、溢れた涙をさっと拭いた。
まだ、流すべき時ではない。
つよく思えば思うほど、俊はきっと勝つ。



・・・・・・会いたいけど・・・・・・今は我慢しなきゃ・・・・・・



蘭世はぐっと奥歯を噛みしめて、口の両端をきゅっと上げた。
「・・・・・・真壁くん・・・。がんばって・・・・・」
俊にというよりも、その言葉は蘭世の自分自身への応援でもあった。









     ◇     ◇     ◇










「いよいよ明日だな」
最後のトレーニングが終わったあと、柴田がジムに顔を出し、シャワーを浴びて戻ってきた俊に声をかけた。
「・・・はい」
「緊張してるか?」
「・・・・・・・まぁ・・・」
俊はタオルで髪の毛をガシガシと拭きながらぼそりと答えた。
「それでいい。その緊張感が身をひきしめるんだ」
柴田はうんとうなづきながら俊に言った。
そして、壁際に並べられてあるパイプ椅子の一つに腰を落とした。



「俺が言った命令・・・守ってるらしいな」
両肘を膝に乗せ、左右の手を絡ませながら、うつむいたままで柴田はそう言った。
俊は特に表情を変えるでもなく、先ほどと同じように「まぁ」とだけ答えた。
「・・・・・さすがだな。お前の自制心には感心するよ。お前のことだから、命令には反発するかと思ったんだがな・・・」
柴田はフッと笑いながら顔をあげた。



「・・・・・・自信が・・・・・・欲しかったんです」
「自信?」
柴田は予想外の俊の言葉にきょとんとした。
「もし・・・・・・乗り越えられれば、勝てそうな気がする。
というか、気持ちにまけて会ってしまったとしたら、何もかもうまくいかない気がしたんだ。。。勝つものも負けそうな・・・・
願掛けみたいなもんかな・・・言ってもらって逆に支えになりましたよ。自分だけで決めてたら玉砕してたかも・・・」
俊は柴田を見返してにやっと笑った。



「・・・・・そうか・・・」
柴田は俊のその笑みを浮かべた瞳に、熱く強い力を感じた。
たった1週間だが、その1週間は俊にとっては自分が思うよりもっと深い1週間であったのではないだろうか。
自分の突然の命令を自分自身の目標として受け入れ、見事にこなすその巧みさは、
柴田を圧倒させた。
そして、それを乗り越えた今、その闘志を誰が止めることができるだろうか。




「明日の試合・・・・・・」



・・・・・・この調子だとひょっとするとひょっとするな・・・・



言葉の途切れた柴田を不思議に思ったのか、俊は柴田の顔を覗き込んだ。
「・・・いや。楽しみにしてるよ」
柴田は立ち上がると、ポンと俊の肩に手を置き、その手にぐっと力を込めた。
俊もその力に答えるかのように、肩とそしてきらっと輝く瞳に力を入れて、黙って大きくうなずいた。








     ◇     ◇     ◇








大勢の観衆の声援で場内ははちきれんばかりの盛り上がりを見せていた。
ついにこの日が来た。
それぞれがそれぞれの想いを抱えながら待っていたこの日が・・・。


天気は快晴−−−−。
暑くもなく寒くもなく、最高の天候だ。


条件は相手にとっても同じなはずなのに、
俊は、天気までも自分に味方してくれたかのようなそんな思いさえしていた。
それだけの自信が身についていたのかもしれない。



人間としての自信。
魔界人としての能力に頼ることのない、素の自分としての自信。
女に会わなかっただけで・・・
と言われるかもしれない。
しかし、俊にとってはそれは誰が何と言おうと大きな意味を持っていた。

世界を取るということは、ただ単に世界の頂点になるという意味だけではない。
むしろそれは、二の次だ。
頂点になることも、ジムへの影響も単なる付随品でしかない。

この試合に勝つということは、蘭世を守ることのできる資格を手に入れるということだ。
それが、自分に課した試練であった。
今初めて思ったことではない。
何年も前から、頭の隅に置いていた考えだった。
それがついに今、その試練に直面している。
この1週間はその試練に耐えうるためのもう一つの試練であった。




俊は控え室で一人、目を閉じて硬いソファーに腰をかけていた。
手には蘭世からもらったキーホルダーが握られている。
長い間握り締められたそれは、今日も熱く熱を帯びていた。
俊はそっと瞳を開いてそのキーホルダーを眺めた。
蘭世の・・・・笑顔、泣き顔、怒った顔、そしてうれしそうな顔が次々とその透明な中に映し出された。
そして、最後に泣きながら笑っている蘭世の幸せそうな姿が浮かんだ。



・・・・・・絶対勝つから・・・・・待っててくれ・・・・・・



俊はキーホルダーをもう一度強く握りしめて席を立った。








明るかった場内の電気がぱっと消されて、選手入場口に青白いスポットライトが当てられる。
そしてハードな音楽にのって、二人の選手がついに登場した。
蘭世はあたりを見回した。
チャンピオンを応援してる人もいれば、俊を応援している人もかなりたくさんいることが伺えた。
蘭世はまるで自分がこれから対戦するかのように、大きく息をついた。
そしてリングをじっと見据えた。



俊がリングの上に立つ。
緊張している感じはない。
余裕さえ伺える。
いや、実際はどうなのかわからないが、そういう雰囲気を漂わせることが相手へのプレッシャーにもつながるのだ。



俊は蘭世と同じように、相手をじっと見据えている。
1週間会わなかった間に、一周りも二周りも俊が大きくなったように蘭世は感じられた。
口をあけたまま蘭世は俊を見つめていた。
自分の知ってるようで知らない彼の姿は、蘭世の心を新しい気持ちのようにときめかせた。



そのとき、俊がちらりとこちらをみた。
蘭世はハッとする。
何度も試合を見にきたが、試合前も試合中も、俊が蘭世を見ることはなかった。
気配で気づいているようではあったが、姿を確認することはなかったのに、
今、俊が蘭世を見ている。
蘭世の心臓はドクンと音を立てた。
俊の視線に釘付けになったまま、蘭世はそのまま動けない。



・・・・・・江藤・・・・・・
・・・・・真壁くん・・・・・・



俊はコクンと蘭世にうなづいて見せた。
蘭世もそれにつられるかのように同じ仕草を送った。


それと同時に、ゴングがなった。



・・・・・・きっと勝つ・・・・・・



蘭世はそう確信した。
負ける気がしなかった。
会場内はラストの大きな歓声に向かって、大きな波を押し寄せようとしていた。
感動のラストシーンが目前の迫ってきていた。













<END>









あとがき



お待たせいたしました。ようやく完成です。
この作品はみゆきさまから頂いたリクエストを参考にさせていただきました。
みゆきさまからいただいたリクエストは

>俊が世界チャンピオンになるまでの俊と蘭世の一週間

というものでした。
いろいろ考えたんですよぉ。
明るいバージョンとか、切ないバージョンとか、ケンカバージョンとか・・・
でも考えてるだけじゃなかなかまとまらないので
とりあえず書き出そうと思って書き出したらこうなりました^^;
ドツボにはまったぁぁぁぁぁ!!!
どうまとめていいかもわからなくなって、しかも長くなるしぃぃぃ。

最後の試合シーンは書けば書くほど稚拙な試合になりそうだったので、辞めました(笑)
だってちゃんとボクシングの試合って見たことないしぃ。

みゆきさまの想像と大いにかけ離れてしまったかもしれませんが、どうぞお許しくださいませ。
こんな仕上がりになってしまいましたが、よろしければご笑納ください☆








←前編      ←キリリクTOPへ