君がいなくなった後に

























前編
















なぜ・・・

どうして・・・

どうして俺は、・・・・・・あの時追いかけなかったんだろう・・・





















「お兄ちゃん・・・お姉ちゃんを助けて・・・



鈴世が尋ねてきたのは、昼間のちっちゃな―――少なくとも俺だけはそう感じていた―――事件のフォローをどうしたらいいものか、
アパートの部屋の気持ち程度にある小さな窓の桟に両腕をのせて外を眺めながら考えていた時。

ホンの1kmほどしか離れいない場所でまさかそんなことが起こっていようとは夢にも思えないほどの

月の出ていない静かな静かな夜のことだった。





「お兄ちゃん・・・お姉ちゃんを助けて・・・」





涙を瞳いっぱいに溜めてそう小さくもらした鈴世を見て、俺は思わずしゃがみこんだ。

「おいっ!どうした?何があった!?」

・・・う・・・く・・うぅ・・・」

声を押し殺したまま泣いている鈴世を、俺はとにかく部屋の中に促した。

いつもどんな時でも、冷静な鈴世がここまで泣いているのを俺は見たことがない。

瞬時に江藤のことが頭に浮かんで俺の心は不穏な胸騒ぎに包まれた。

「鈴世。とにかく落ち着いて話せ。泣いていてもわからないだろ。」

大人びていてもやはりまだ子どもだ。俺はあやすように鈴世にゆっくりと声をかけた。

「・・・お姉ちゃんが・・・」

「江藤がどうしたんだ?」

「・・・う・・・うう・・・」

「・・・鈴世・・・?」



「・・・・う・・・目を開けないんだ・・・・」




「・・・!?目を開けない?・・・どういうことだ?」

「夕方帰ってきた途端・・・玄関に倒れこんで・・・そのまま眠っちゃったようになって・・・そのまま目を覚まさない・・・」

鈴世は嗚咽しながらも、座っていくらか落ち着いたのか、語りだした。

「眠ってるんじゃないのか?」

「・・・わからない・・・気付け薬を飲ませてもだめで・・・

でも明らかにいつもとどこかが違うんだ・・・僕にはわかる・・・」

「今もそのままなのか・・・?」

「・・・うん・・・メヴィウスさんに来てもらったんだけど・・・」

「メヴィウスは何て?」

「原因はわからないって・・・」

「・・・・・・」

「お兄ちゃん、お願い。うちに来て!お兄ちゃんなら助けられるでしょ?」

涙を浮かべたまま鈴世が俺を見つめた。

俺は鈴世の頭を軽く自分に引き寄せた。

「わかった。行こう。」

「お兄ちゃん。お姉ちゃん・・・大丈夫だよね」

「・・・心配するな。俺がついてる」

俺がふっと笑いかけると、鈴世もほっと息をついてふわりと顔をほころばせた。

だが、俺は表面上はつくろいなからも、心の中はなんともいえない胸騒ぎと動揺が休むことなく交差していた。











*****     *****     *****











江藤家に着いたのは、普段ならとっくに夕食も終わっている時間帯だった。

しかし、今夜は食べた様子はもちろん、椎羅が準備を始めた形跡すらなかった。

シーンと静まったままのリビング。

あまりの静けさに一瞬たじろぎその場に立ち尽くしてしまった。

誰もいないのかと思わせるほどの微動だにしない静寂。

しかし、2階の一ヶ所から数人の息を飲む僅かな気配だけがまるでコンクリートの合間をぬってくるかのように

俺の神経にまで届いてきた。

その静かな空気が今、ここで何が起こっているのかを暗に予想させる。

俺は先ほどからの胸騒ぎを必死で抑えながら、江藤の部屋へと急いだ。

そうだ。俺はいつだってそうだ。

何だかんだいって、あいつのことになるとこの速まる鼓動を止められない。

俺のこのうまれ持った力でさえも。



ガチャリとドアを開けると、中にいた望里と椎羅が同時にこちらをみた。

はりつめていた空気が少しふわりと和らいだのを感じた。

俺は一瞥してから、視線をベッドに横たわっている江藤に向けた。

小さく呼吸を繰り返しながら、少し青ざめた顔で眠っているかのようだった。



「真壁くん!」

俺の腕にまずとびついてきたのは椎羅だった。

「蘭世が・・・戻ってきてから倒れこんで・・・」

顔を青ざめさせながら椎羅は俺を覗き込んだ。

学校で何かあったのか・・・俺の答えを待ちわびている・・・そんな表情であった。

「鈴世から事情は聞きました」

俺は言葉をかみ締めながらつぶやいた。

「今はどんな具合なんですか?」

「見ての通りずっと眠ったままだ。呼吸や心拍なども特に乱れていないし、熱もなさそうだ。

体に何か害が及んでいるとは考えにくいんだが。。。」

椎羅に代わって望里が状況を説明した。

「だけど、目を覚まさないって・・・。」

「ああ、先ほどから気付け薬を飲ませてるが一向に・・・。」

「だったらやはりどこか・・・」

「今、メヴィウスが魔界に調べに戻ってる。過去にこんな症例がなかったかどうか・・・」

「・・・・・」

俺は、ベッドの脇にひざまづいて、江藤を覗き込んだ。

額にかかった髪の毛をそっとなでた。

呼吸のペースを変えることもなく、そして、触れられたことに気づいて目を開ける気配もなく、

蘭世は眠ったままだった。








昼間の姿が脳裏に蘇る。

大きな瞳に涙をいっぱいためて数メートル離れたところからこちらを見ていた。








胸の上で組まれていた白くて細い手をとり、俺はぐっと握り締めた。

どうしちまったんだ・・・江藤・・・。

もしも・・・もしもあの涙が原因なら・・・俺はどうすればいい・・・???






「学校ではどうだった?何か苦しそうにしていただろうか・・・」

望里は背後から俺に尋ねてきた。

学校から帰ってきていきなり倒れたとすれば、そう思うのもおかしくない。

だが、俺には的確な答えを出せる自信がなかった。

苦しそうには・・・?

そうは見えなかった。

少なくとも体調的には朝からもおかしくはなかったように思う。熱があるとかそれぐらいのことなら、

恐らく近くにいれば俺が気づくはずだ。

しかし、もしあのことが原因だとしたら・・・その後のことはわからない。

でも気持ちの変化や衝撃だけでこうまでなるのだろうか。

確かに傷つけたかもしれない。

だが、それだけで、目を覚まさなくなることなんてあるのか・・・。

畜生・・・

あのとき、追いかけていれば・・・・・・

何故いつものことだと済ましてしまったのだろう・・・。

あの時、追いかけていれば、もしかしたら、少なくとも江藤の体の変化に気づいてやれたかもしれないのに・・・。

俺はクッ・・・と握っていた指に力を入れた。





「・・・わかりませんでした・・・すみません・・・俺が・・・俺がちゃんと見ていれば・・・」

望里はふっと息を吐いて、俺の隣にしゃがみ、ポンと背中を叩いた。

「君が悪いわけじゃないよ。様子を見よう」

俺はうつむけていた頭をあげてもう一度蘭世に向けた。

「そうじゃなくて・・・」

俺が話そうとしたとき、ガタッとドアが開き、メヴィウスが戻ってきた。





「俊殿もおいでじゃったか・・・。」

「メヴィウス!どうだ?何かわかったか?」

望里は立ち上がってメヴィウスに駆け寄った。

「うむ・・・。定かではないが・・・何か大きな衝撃を受けて意識的に心を閉ざしているのかもしれぬ。」

「心を?どういうことだ」

「その原因まではわからぬ。それが、大きな事故だったのか、あるいは、気持ちを乱すような精神への衝撃であったのか・・・

そこまではわからないが、忘れてしまいたいような大きな出来事が心を壊し、それを思い出させないように頭が反応し

無条件に意識をとじこめてしまっているのやもしれぬ。」

「だが、事故といっても怪我を負ってる様子はないが・・・」

「・・・うむ。事故にあいかけたのかもしれぬし、もっとショックな出来事があったのかもしれぬし、その経過についてはわしにもわからぬ。王子は一緒ではなかったのかぇ?」

メヴィウスが俺の方を見ながら言った。

「・・・・・・」

「・・・・・とにかくじゃ、原因がわからぬことにはこちらも対処のしようがない。

突然目を覚ます可能性もあるし、体自体は悪くはないのじゃからすぐ命がどうというわけではなかろう。

わしはもう一度魔界に戻って目を覚まさせる方法を探してみよう」

「あぁ。。。すまない・・・頼む、メヴィウス」

望里と椎羅は釈然としないながらも命に別状はないと聞いて少し息をなでおろしたようだった。

そしてメヴィウスを地下へと送っていった。



心が壊れた・・・?

俺は握っていた蘭世の手をもう一度握り締めて、じっと神経を傾けた。

何か事件や事故に巻き込まれたのなら、過去の出来事として何があったか伝わってくるはずだ。

しかし、その気配は一向に感じられなかった。

だとすれば、ショックな出来事・・・・



もし、心が壊れたというのなら、もし、何も事故にあっていないというのなら、

原因はあのことのみ・・・。

それ以外に考えられない。

全て俺の責任だ。

俺の配慮が足りなかったばっかりに、俺が過小評価しすぎたばっかりに・・・

まさか、まさかこんなことになろうとは・・・

これほどにまで傷つけていたとは思わなかったのだ・・・・



江藤・・・頼む・・・

目を覚ましてくれ・・・。

俺は蘭世の額にキスをし、そして、同じように唇にもゆっくりと口付けた。

目を覚ます気配もなく、俺はゆっくりとため息をつきながらそのまま江藤の額にうな垂れた。














*****     *****     *****















ほんの一瞬の出来事だった。





相手が女だったことでいつも俺自身を取り巻いている警戒心はある程度薄らいでいた。

しかも、その女の抱くまっすぐな感情は、俺を戸惑わせていた。

別にその女に心を動かされたわけではない。そんなこと、ありえないのは俺自身が一番よくわかっていた。

ただ、それまでにいくつにも積み重ねられた江藤との微妙な気持ちのずれが、

俺の普段の確固たる周りへの撥ね付けを弱まらせていたのかもしれない。



俺は、俗にいう告白というものを受けていた。

相手の名前は覚えていない。

その程度の女だ。



聖ポーリアに来てからこういう類のことは結構あった。

といっても俺にはからっきし興味のないことでそいつらの望みを聞いてやる義理もなく、

片っ端から断りを入れてはいたが、それはやはりあいつには面白くなかったのかもしれない。

俺の気持ちをわかっていてくれているはずだ・・・

むしろ、理解してとうぜんのことだと思って、いちいち蘭世に対するフォローは入れていなかった。

そんなことで、俺とあいつの関係が揺らぐはずもないのに、

何故、あいつは毎度毎度ヤキモチを焼くのだろうと、苛立ちすら覚えていた。

そういうことが原因で小さな言い合いが何度か繰り返されていた。

俺は俺で、何で信じられないんだという苛立ちもあったし、言い合いになるとどうしてもその気持ちが優先されてしまう。

江藤がどう思っているか、どう感じているか・・・そんなことまで理解できる技量など俺は持っていなかった。



だが、それは単に俺の自惚れでしかなかったのかもしれない。

その自惚れは俺の警戒心すらをも稚拙なものにさせた。

大人しそうな女などと思ったことが間違いだったのか、

いや、単に、長い髪が江藤によく似ているななど、理由はどうであれ、瞬時に女としてみてしまったことが原因なのかもしれない。

いつもどおりに「興味ないから」と断りを入れて、その場を去ろうとした時、

女は急に俺の手をとった。

予想もしていなかった出来事に、俺は一瞬よろめいた。

そして、その瞬間、彼女の両手が俺の首に巻きつき、そのまま俺に口付けた。

俺の頭と体が同時に拒絶し、その女を引き離した。

「お前・・・」

「彼女がいるの?」

「・・・・・・」

「あの人でしょ?江藤さんって人・・・私は江藤さんよりどこが劣ってる?」

長い髪が風に揺れる。

そうか・・・あいつと張り合うためにこんな髪型を・・・?

「・・・・・・」

俺は黙って立ち去ろうとした。その瞬間、江藤の存在に気づいた。

あまりの突拍子もない出来事に江藤がいたことにさえ気がついていなかった。

大きな瞳に涙をいっぱいためて数メートル離れたところからこちらを見ていた。

江藤がぱっと踵を返し、走り去った。

恐らく見られていたのだ。だが、スキを与えていたとはいえ、完全に不可抗力だ。

最近ケンカが続いていた中、言い訳を考えること自体すでに疲れていた。

俺は後を追いかけることができなかった。

このままにしておくわけにいかないとは思いながらも、

どうせまたいつものケンカの繰り返しだと先延ばしにしてしまおうとするズルイ気持ちがあった。

「追いかけないの?」

女が後ろから尋ねた。

俺は女に嫌悪感を抱いて口を拭うと、何も言わずにその場から立ち去った。




















あのとき、追いかけていれば・・・・・・



俺は、しっかりと目を閉ざされたままの蘭世を見つめたまま、何も言えずに呆然としていた。







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