SCENE
第13話
同じ頃、俊は一人ファミレスでうすいコーヒーをすすっていた。


店内は時間も時間だからか、人はまばらであったが、
土曜日ということもあって、平日に見かけるよりは、多めに客が入っていた。

腕時計を見る。
11時近くになろうとしていた。
そのまま、俊は視線をテーブルの少し前の方に向けた。
この時計は誰にもらったんだったっけ・・・・?
そんなことも思い出せない自分にあきれていた。
そしてこの時計を蘭世はステキだと褒めていたことも同時に思い出した。

あの時は、そんなことでさえ、胸がキュっと締まる自分にも驚いていたし、
それを女からの・・・・・・・しかも覚えていない・・・・・・・・贈り物だということも言えない自分を
自分自身、どう扱っていいかもわからなかった。


それを恋心であるということに気がついたのは、ゆりえが、蘭世が俊をを好きだといっていると
伝えた後であった。
いや、ほんとはもっと前から知っていたのかもしれない。
ただ、それに気づこうとしていなかっただけだったのかもしれない。
自分が恋に身を焦がしている・・・そのことが、俊を苛立たせ、恥ずかしくもあった。

だが、今日蘭世の瞳を見つめてから、それを受け入れる自分がいた。
蘭世が俺を思ってるかどうかなんて、もうどうでもよかった。
俺が、この想いを伝えたい、恥ずかしさやもどかしさなんてこの際もう必要なかった。




このまま蘭世をつれて帰りたい、
もっと深いところで繋がりたい。
そう思うのは男として当然であった。

今までの自分ならば、速攻、手が出ていたはずだ。
相手の気持ちなんて考えることもしなかっただろう。

だが、それを避けたのは、自分でも正直わからない。
ただ、大切にしたいといったことは本当だった。
蘭世自身をという意味であったが、それは、もしかしたら自分自身の
本気の恋というものをも、大事にしたいとい意味であったのかもしれないなと
俊はふとそう思った。
初めて味わう、本気の想いを・・・・・・・。














「待った?」

そう言った声に俊はふと自分の思考のもやの中からハッと我に返った。
その声の方に顔をあげると、そこには曜子の姿があった。

曜子は俊の前のソファーに座り、オーダーを取りに来たウェイターにオレンジジュースと言った。


「急に呼び出すんだもん。私だって、そんなにいつも暇じゃないのよ?」
曜子は小悪魔っぽい目を俊に向けた。
「でも、俊が呼ぶんだから特別よ♪」
前かがみでテーブルに身をあずけると、曜子の襟ぐりのあいた服から、胸がちらりと見える。
それがわざとの行為であることは
曜子自身もそして俊もわかっていた。
男女の交わりの合図であった。

だが、俊はそれを拒否して、目を外に向けた。
いや、それをあきらかに視界に入れたとしても、もう俊には合図になる由もなかった。



「話があるんだ」
俊はカチャリとカップをソーサーの上で回しながら言った。
「なぁに?」
「・・・・・・江藤と話したんだって?」
俊の言葉に曜子は一瞬顔を曇らせた。
「江藤?誰?」
「・・・・・・何いったんだ?彼氏だって言ったのか?」
「・・・・・・・・さぁ?忘れちゃった・・・・・・なんでそんなこと聞くの?」
曜子は俊の目を見つめながら尋ねた。


「・・・・・・悪いけど・・・・お前とはもう会わない」
俊は机の一点を見つめたまま言った。

曜子の顔がこわばる。しかし、無理に笑おうとして笑みを作った。
「何それ?ふっ。また新しい女?そんなのいつものことじゃない。
いいわよ。私なら。俊の呼ぶときにいつだって駆けつけてあげるんだから。」
曜子はそう笑って言ったが、ガラスの向こうに視線を送ると顔は真顔に戻った。

「もう、お前を呼ぶこともない」
俊は同じ姿勢のまま言葉を発する。

「・・・だから、何なのよ。どうせすぐ飽きたら別れるんでしょ?そしたら、また私を呼ぶでしょ?」
曜子はひときわ声を大きくして言う。テーブルに載せていた手が震えている。

「お前には今まで、悪いことをしたと思ってる。最低な男だ。
殴ってもいいし、罵ってもいい。
だけど、俺はもうお前を呼ぶことはない」

「・・・・どうしたって言うの?・・・・・まさか・・・本気だなんて言うんじゃないでしょうね。
はんっバカらしい。俊が?あの女に本気?笑っちゃうわ」
曜子は高笑いをした。しかし、それは乾いた声だった。そして声も少し震えている。


「・・・・・本気だ。俺はアイツを本気で想ってる・・・」
「・・・・・・!!」
一瞬自分の耳を疑ったのか、曜子は目を見張ったまま何も答えずに固まった。
「・・・・・まさか・・・嘘よ・・・」
「嘘じゃない・・・」
「どうして!?どうしてあの子なの?普通の子じゃない。どうしてよ!」
曜子の声が店内に響く。
他の客達が何かおもしろいものでも見るように好奇心に満ちた視線をあちこちから送ってくる。

「俺にもわからねぇ・・・。でも、今までの女に対する気持ちとは全く違うってことだけはわかる。」

「・・・・・俊・・・」

しばし、2人の間に沈黙が流れる。
そして、その沈黙は曜子によって静かにかき消された。

「別れるわ。きっと。俊に本気の恋愛なんてできっこない。私がずっと見てきたんだから。
この先のことなんてわからないじゃない。別れてからでもいい。
だから、もう会わないなんて今から決め付けないで・・・」

曜子の声は泣き声に変わりながら消えていった。
俊は曜子を見た。
いつも気の強い曜子が涙を流している。
今まで感じたことのなかったセンチメンタルな気分に俊は陥っていた。
俺はこうやって、何人の女を傷つけてきたのだろう・・・。
そう思うと胸がいたたまれなくなる。
本気で人を愛すということは、こんなことも気づかせるものなのかとふとそう思った。





「アイツを想うことで俺は変わったと思う。
そして、これからも変わると思う。
確かに別れるかもしれない。でも、俺はもう適当なことはしたくないんだ。
お前にも、こんな俺を忘れて、お前を幸せにしてくれる男を見つけてほしい。」




「私は俊に本気だったわ!最初からずっと・・・今もよ!」
曜子は泣きながら俊を睨みつける。




「・・・気持ちは・・・・ありがたいよ。
でも、・・・・・・俺は、お前を幸せにはできない。お前も俺を幸せにはできない。。。」
俊はそういう自分を責めた。
だけど、もう同情も、そして女の気を引くこともわずらわしいくらいだった。
勝手な男だと思った。
でも恋だけは・・・・どうにもならない・・・・・。



「・・・・・・・・何をいってもダメなのね・・・」
しばらく考えていた陽子は、そっとため息交じりにつぶやいた。
「こんな日がいつかくるかもしれないって・・・思ってた。
でも、それでも、私に俊が本気になってくれることも期待してた。
俊が、好きだった。ホントよ。
だから、俊が呼ぶときはいつでも飛んでいったの。
自分でもバカだって思ってた。でもそれでも、俊が好きだったの・・・」
涙を拭きながら陽子は言った。
「・・・・・・曜子・・・・」
「あの子に謝っといて・・・・・・。私、誤解を与えるような言い方しちゃったから・・・」
そういって曜子は席を立った。
「ジュースおごってね」
そういって、いつもの小悪魔的な瞳で俊を見ながら微笑んだ。
























     **********************







翌朝・・・・・・・・といっても、もうお昼近くになっていたが、・・・・・・・・蘭世はとあるアパートのまわりを
グルグルと歩き回っていた。

勢いで家を出てきてしまったことを、このアパートをめにしたとたん、急に後悔しはじめ、
もう小一時間、歩き続けている。
止まっていられるはずのおちつきもなく、だからといって、この場を離れる勇気もなく、
何度もため息をつきながら、蘭世は歩き続けていた。






昨日はいろんなことがあった。
そのせいか、蘭世の興奮状態はやまず、寝付けずに、そして朝早く目が覚めた。

いてもたってもいられなくなって、携帯を手に取り、
まだ寝ているはずの日野の番号を表示した後、発信した。

今起こされましたというような声で、日野は電話に出たが、
その電話主が蘭世だとわかると、慌てふためいた。
「な、なななななに・・・?」とどもりながらも用件を聞くと、なんだ・・・といって
少し安堵したような声になって、蘭世の用件に答えてくれた。

いつもなら、日野の可笑しな動揺を蘭世は見逃さなかったであろう。
だが、今日の蘭世はそれどころではなかった。気持ちはすでに遠くにあった。








日野は丁寧にも住所のほかに、駅からの道順も簡単に教えてくれた。
思ったより駅からは近かった。
あまりにも近かったために、心の準備が出来上がる前に、蘭世はここについてしまった。

このアパートの2階の奥から2番目の部屋に
俊がいる。
いや、いるかどうかは正直確かではない。
蘭世は俊に電話もせずに、連絡もとらずに、ここに来た。
電話をする勇気がなかっただけだ。
そしてそれよりも会って話したかった。

ただ、その想いに急かされてここまできたものの、
どうしても敷地内に入ることができずに、時間だけがたってしまっていた。





日野から聞いた住所を書いた紙を手に握り、蘭世は足を止めた。
手に汗を書いていたらしく、白い紙はふにゃりと曲がっている。
いつまでここにいるつもりなのだろうと蘭世は自分にあきれた。
そしてごくりとつばを飲み込んで、呼吸を整えた。












ピンポーン。
一度だけインターホンを鳴らす。
鼓動が早まる。


しかし、音沙汰がない。

蘭世は目だけをインターホンに向けて、もう一度押してみた。

しばらく待ってみたが音沙汰はまたない。
蘭世は拍子が抜けてしばらくそのまま立ち尽くしたが、きびすを返してその場から離れようとしいた。



そのときーーーーーー。
ガチャリと重そうなドアが開く。
「誰?」
といいながら、俊が目をこすりながら出てきたが、蘭世の姿を見つけると、
ハッと顔を真顔にさせた。
「・・・・江藤・・・・?」

「あ、あの・・・・・おはよう・・・」

「お?おぉ・・・何やってんの?」
俊はわけがわからないといった顔つきで蘭世に尋ねた。

「あの・・・・何ってわけじゃないんだけど・・・・ちょっと話が・・・・」
蘭世はおずおずと口ごもる。

俊はしばらく呆然としていたが、頭がようやく働き始めると、「まぁ入れよ」と言って蘭世を部屋に促した。









     **********************









「ほい」といって出されたアイスコーヒーを蘭世はありがとうといって手にとった。
そして少し口を潤すと、口を開いた。

「ごめんね・・・・朝っぱらから・・・・寝てたんでしょ?」

「あん?あぁまあな・・・」
俊はそういったが、蘭世の意図がわからずに、ベッドに腰掛けたまま黙っていた。

「あの・・・・お、お部屋綺麗ね。もっと散らかってるのかって思ってた」
(こんなことどうでもいいのにぃぃぃ)
本論を口にできない自分を蘭世ははがゆく思う。

「そっか?あんま掃除もしてねえけど。。。。しにきてくれたのか?」

「えっ・・・いや、そうじゃないんだけど・・・・」

「じゃぁ何だ?」

俊の問いかけに蘭世がうつむく。
俊はその姿を見るとふぅと息を吐いた。
そして立ち上がると自分にもグラスにアイスコーヒーを注ぎかけた。



「あの、、、、私・・・・・・圭吾と別れた・・・・」

ガッチャーーン!!

蘭世が小さい声で言ったのを、横顔で聞いていた俊は思わず、流しにアイスコーヒーのボトルを落とした。
それと同時に「うわっ」と叫んで、そして蘭世の方を向いた。
「何だって?」

「だから、圭吾と・・・・彼と別れたの」
蘭世は上目遣いで俊を見て、もう一度くりかえした。


「・・・・・・いつ?」

「昨日、あの後・・・。帰ったら、圭吾が家の前で待ってた。
何か予感でもしたのかな・・・・?」
そういって蘭世は小さく微笑んだ。
「それで、もうつきあえないって話した」


「・・・・・・・」
俊は黙ったままだった。
目をパチクリとさせて、口をあけたまま、蘭世を眺めていた。


「あの・・・・俺のところに来いって言われたからじゃないんだけど・・・・
伝えなきゃいけないかな・・・とか思って・・・・
電話すればよかったんだけど、
直接会って話したかったから・・・・・・あの・・・・聞いてる?」
蘭世は放心したような状態で立ち尽くしている俊を見て首をかしげながら尋ねた。



「えっ?あ、あぁ・・・ちょっとびっくりしたもんだから・・・・」

「びっくり?」
蘭世は俊の言葉を聞いてぷっと吹き出した。
「変なの♪真壁くんでもびっくりするんだ」


「どういう意味だよ。。。。んなこといったって、そんな急に別れるなんて思ってなかったし・・・・」



「それはまあそうなんだけど・・・・
私も昨日の今日で、こんなこといいにくるなんて、のぼせ上がってるみたいでイヤだったんだけど・・・」
と蘭世は横を向いて言った。
「でも・・・、いてもたってもいられなくて・・・・・」











とそういった蘭世を俊は思わず駆け寄って抱きしめた。
蘭世は昨日嗅いだ同じ匂いに包まれて、緊張していた心をやっと解いた。


「俺も・・・・・昨日、あれから陽子に話したんだ」
「えっ?・・・・真壁くんも?」
「・・・・あぁ・・・・ふっ・・・やること似てるな・・・俺たち」

抱きしめながら俊は笑った。
蘭世もつられてふふっと笑った。




「俺のものになってくれるか・・・・・?」
俊は肩越しに蘭世に尋ねる。
俊の声が合わせた胸を通して聞こえてくる。
聞こえてくると言うより響いてくるという言い回しのほうが近い気がした。



「そのために・・・来たのよ・・・」
蘭世も俊の背中に手を回してそう答えた。









俊はそっと蘭世から体を離した。
そして、蘭世の瞳を覗き込む。
大きな瞳が潤んで揺れている。
吸い込まれそうになるのと、胸がぎゅっと締め付けられるようになるのを
堪えながら、俊は目を細めて蘭世の唇に3度目のキスを落とした。


蘭世もそれを受け入れる。




唇が合わさった瞬間、何か大きなものが2人の間に生まれるのがわかった。
これが愛というものでないのだとしたら、
いったいなんであるのだろう・・・。
お互いが同じように感じながら、その深くて大きなものに囲まれながら落ちていく。




心の奥からこみ上げる想い。
引かれていく心。
もう誰も何も止められずに、お互いにのめりこんでいく。




「もう止めないからな・・・・」
俊は唇を離すか離さないかという距離でそう最後の忠告をする。

「・・・・・・いいよ・・・・・・・・・・俊・・・・・・」

蘭世の返事が実質のスタートとなる。
それまで少し遠慮が交じっていた俊の口付けも、本格的に蘭世を求め始めた。

蘭世も俊を『俊』と呼んだことで、何かがはじけとんだ。
俊の息遣いに合わせながらも、それを快く味わう。









カーテンに仕切られた窓の間から、日差しがすっと入り込んで蘭世の瞳に時折入り込んだ。
それは、新しい前進への一歩をも照らしていた。

傷つけて手に入れた愛。
苦しく悶えて気づいた想い。
ようやく手に入れた気持ち重なり合い・・・。
それは言葉ではいいがたいほどの深い重みがあった。

よくある男女間の恋愛。
よく見かける風景。
だが、それは蘭世にとっては他の何にも変えられないほどのかけがえのないものであるということを知った。
それを手放すまいと、その光に誓った蘭世だった。
















<END>







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