SCENE
第2話  全ては偶然の中に
先日の男とは、もう数日経っていたが、あれ以来会うことはなかった


会ったと言ってもそれは、一瞬の出来事で、しかもペンを貸しただけというちょっとしたこと。
交わすというほどの会話をしたわけでもないし、取り立てて騒ぎ立てるようなことでもない。
蘭世は、そのことがまるで夢であったような錯覚さえ起こしていた。



もう一度会いたい・・・・・そう思って、
同じ学部の同回生なら校内で偶然出くわすことも密かに期待していたが、
もう3日目にもなると、記憶からも消えそうになり、顔もはっきり思い出せない、
思い出すことももうなくなろうとしていた。





しかし、そんな時、その消えかけつつあった記憶を引き戻させる出来事に蘭世はまたもやぶつかってしまった。
かろうじて記憶のすみに残されていた聞き覚えのある声を、教室の蘭世が座る斜め後ろで聞いたのである。
















はっとして振り向くと、そこにははにかんで笑うこの前の男性が、友人と席に着こうとしていた。
目を見開いたまま蘭世は思わず息を止める。






「あれ?あんた・・・・この前の・・・」
蘭世の視線に気づいたのか、男はそう蘭世に声をかけ、
座りかけていた席を離れ、空いていた蘭世の前の席を友人に促し、ともに席に着いた。





「なんだ。同じクラスだったんだな。」
その男は振り返りながら、蘭世に話しかけた。








同じクラス・・・・・







これから始まる授業は、クラス単位で受ける専門科目で、
この授業のクラスが実質、学部のクラスになる。
蘭世はこの偶然に心が騒ぐのを感じていた。





記憶から零れ落ちかけていた彼の面影を今、真正面で再確認した蘭世は、
止まったまま動けなかった。

またもや大きな瞳に吸い込まれそうになって、蘭世は軽く目をそらす。



「この前はサンキュ」
「あ・・・ううん」
片言でしか答えられない自分がもどかしい。
聞きたいことはいろいろあったのに・・・蘭世の頭の中はすでに真っ白になっていた。









「名前なんていうんだ?」
一番聞きたくて聞けなかった質問は彼のほうから投げかけられた。
「名前?」
「そう」
「え、江藤蘭世・・・・・」
蘭世は緊張しながら、言葉少なに答える。
「江藤か・・・・俺は、真壁。真壁俊。んでこっちは日野。日野克。よろしくな」
自分を真壁俊と名乗ったその男は、隣に座っていた友人も一緒に紹介し、またはにかんで見せた。
「・・・・うん。こちらこそよろしくね」
蘭世は少しぎこちなかったが、せいいっぱいの笑顔を見せて答えた。








・・・・・・・真壁・・・・俊・・・・・







久しぶりに交わした言葉を、ずっと知りたいと思っていた名前を、
蘭世は心の中で噛みしめて、無意識的に何度もその名前を唱えた。
そして、夢が現実になったこの瞬間をドキドキしながら味わっていた。
ただ、あの時、遠くから眺めていた背中がすぐ前にあるのが、妙に不思議だった。

















ほどなくして、クラスの担当となる教授が教室に入ってきて、授業を始め出した。


第1回目の授業は、坦々と進んでいった。
蘭世はそれに合わせてノートをとっていたが、それはただ機械的な作業でしかなく、
内容は頭に全く入ってこなかった。
心はすでに机にうつ伏せている前の席にいる男で占められ、鼓動は大きくなっていた。
静かな空気に自分の逸る鼓動が響いてしまいそうな気がして、蘭世は気が気ではなかった。











授業の90分という時間は長い。


俊はうつ伏せていた体を起こしたり、日野と呼ばれている隣の男と何か小声で話したり、
そしてまた机に伏せたり・・・・をずっと繰り返して、授業などはろくに聞いてはいないようだった。

蘭世はその一つ一つの動作を確認した。
下を向いていても、気配でその動きがわかる。
それを確認したところで、別に何になるというわけではなかったが、
蘭世は興味がないように見せかけられながらも、彼の他愛ない動作に気を配らずにはいられなかった。













「えー、では初回の授業はこのへんにしてだな・・・・・
少し君たちに話があるのだが・・・・」

授業を自分のペースで進めていた教授が、教科書に指定されている本をパタンと閉じながら、
授業を終わらせ、語りだした。




「皆も知っていると思うが、2回生まではこのクラスを単位として、大学生活を送ってもらうことになる。
例えば、学園祭で出店を出すとか、季節ごとに行われるスポーツ大会に出場するなどというときは、すべて、この
クラスでの出場となる。まあ、それぞれ参加するのは君たちの意思次第になるのだが・・・・
そこでだ、一応形だけでもクラスの代表を男女一名ずつ選出して欲しい。
まあ、大学側からの行事に関する様々な連絡事項などを伝え、クラスをまとめる役目を担ってもらう。
誰か、立候補者がいれば、いいのだが・・・・・・」







教授の話がひと段落すると、その問いかけに、教室内がざわざわとざわめきだした。
「代表っていったってなぁ・・・・・」
「大学生にもなって面倒だよなぁ」
口々に不平やため息をもらす学生達。


だが、そんな中一人、声を上げた。







「はーい。それ俺やりまーす」
何の前触れもなく俊が右手を上げながら立ち上がった。

日野もその俊の唐突な立候補にはびっくりしたようで、目をぱちくりさせながら
「おい・・俊・・・」と小声でつぶやきながら、俊のシャツのすそをひっぱっていた。

騒いでいた学生たちも、一斉に静まり返って彼を見た。









「んで、女子はコイツ」
俊は教室が静かになったのを見計らうと、そういって、左手の親指で、
自分の背後を指した。




「・・・・・えっ!?」





俊に向けられていた皆の目は、その言葉と同時にうしろの蘭世の方に移動した。





「えーーーーー!?私ーーーーー?ちょっと何言ってるの!真壁くん!」

蘭世は一瞬、俊が言ったことが理解できずにきょとんとしていたが、思考回路がつなぎ合わさると
慌てて、首と手を一緒にふりながら、拒否した。







「なんでだよ。せっかくだし、やろうぜ。異議のあるヤツ!」
そういって俊は周りをぐるりと見回した。
誰もその言葉に反論するものはいず、しばらくの沈黙のあと、
どこからかパチパチと拍手が鳴り始め、次第にそれは大きくなって俊と蘭世を包んだ。







「よし。決まり!」
俊は、そういうと、再び席に座った。



「ちょ、ちょっと待ってよ・・・・」
蘭世がそういい終わらないうちに、教授がその場をまとめだした。





「よし、そうしたら、君たち二人に頼むことにしよう。皆も彼らたちに協力してやってくれ。
では、本日はこれで。」
そういって教授は自分の手荷物を抱えて出て行くと、学生達もそれを合図にばらばらと解散し始めた。












まだ、名前も知らない学生達が数人、俊の周りを取り囲んでなにやら、しゃべっていた。
そしてそのうちの一人が蘭世にも話しかけてきた。




「君、なんて名前?」


「え・・・・」
「江藤だよ」






蘭世が答えるより早く、俊がその質問に答えた。
他の人と話していたはずなのに・・・・・・
言い放った俊の言葉に蘭世は一瞬どきりとする。





「江藤さんか・・・真壁の彼女?」





「えっ??///ち、ちがっ・・・・・・」
蘭世は突然振られたその問いにあくせくする。


「んなんじゃねえよ。さっき名前も知ったばかり・・・・」
俊は慌てふためいている蘭世の代わりに、またその男の質問に答えた。








「・・・・・・ふうん。とりあえずよろしく。まぁがんばってよ」
そういって男はニコッと笑った。









(がんばってっていわれても・・・・・・)
「そうよ。頑張ってっていわれても・・・・
ちょっと、真壁くん!突然あんなこといわれても困るよ!」
蘭世はとりあえず講義はしたものの、内心は複雑だった。







「・・・・・・大丈夫。」

俊はニヤリと笑ってそう答え、じゃ、またなといって、その場を後にした。






その何か自信にみちたような俊の笑顔に、蘭世はそれ以上何も言い返せなくなって、
心をざわつかせながら、黙り込むしかなかった。









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