SCENE
第11話  交差 
どのくらいの間、そうしていたのだろう・・・







2人は見つめあえる距離にまで、顔を徐々に遠ざけ、しばらくそのままいたあと、
どちらからともなく視線をはずした。


まるで時間が止まっていたかのように感じられた。

だが、唇を離した瞬間、現実は再び動き始める。
雰囲気に流されたと言ってしまえばそれまでのこと。
2人の間に問題は解決なく積まれたままだった。

















「陽子さんって・・・・言ったっけ?
あの人は・・・・・・真壁くんの何?」





蘭世は一番聞きたかったことを言葉にして、重い口を開いた。
これさえはっきりすれば、自分もまた一歩踏み出せる気がした。
たった今の甘い行為も、夢だと思わなくても済みそうな気がした。




「・・・・・・・・」


黙ったままの俊の横顔を蘭世は不安げな目で見つめる。


「答えられない・・・・?」
蘭世は寂しく笑いながら言った。




「彼女はいないって言ったくせに・・・」





「・・・・彼女だとは思ってない」
蘭世の非難を受けきらないうちに俊は答えた。









「じゃあ何?」

「・・・・・・」

俊は何らかの言葉を探しているのか、じっと考えているようだったが
大きく一つ息をつくと、顔をあげて蘭世を見た。








「お前は、あの男のこと、本気で好きなのか?」

「えっ!?・・・わ、私は・・・・・」
蘭世は不意に的をついた質問をされどきりとしたが、
パッと顔をそらせて言った。

「今は、真壁くんの話をしてるの。」

俊は蘭世のちょっとふくれた横顔を見て、ふっと笑って「そうだったな」と答えた。














「俺は、サイテーな男だよ。こんなこというと軽蔑されそうだけど・・・」

俊は遠い先の水面を見ながら言った。







「今まで、本気で女に惚れるなんてことはなかった。ほとんどゲーム感覚で、
とっかえひっかえしてきた。
気が向けば、誰かを誘って遊んだりなんかして・・・
陽子もそんな女の一人だった。
知り合ってからは長いけどな・・・」










俊はいったん話すのを辞めて、足元に転がっていた小石を右手で拾うと
川に向かって軽く投げた。
ポチャンとそれが、水中に落ちる。










「どの女とも長くは続かなかったし、続かそうとも思わなかった。
だけど・・・・・・」









「・・・・『だけど?』・・・・・」
蘭世は俊の言葉を黙って聞いていた。
胸が締め付けられそうになっていた。
自分もその大勢の一人なのだろうかと思うと、涙が溢れそうになる。










「だけど・・・・
こんな俺が、大学に入ってから、一人の女に出会った。
いたって普通だけど、なぜか惹かれる女。」

どうしても近づきたくて、無理やり後ろの席とか陣取って、ペンなんか借りたりしてな・・・」

俊は自分の話にククっと笑った。










「!!」
蘭世は言葉を詰まらせた。

「・・・・知ってて?」

「ああ」


蘭世は胸の奥がじわっと熱くなるのを感じていた。
あれは、偶然ではなかったのだ。









「じゃあ、同じクラスだったことも?」

「いや、それは知らなかった。
でも、お前の姿、見つけたときは、ガラにもなく、神ってヤツに感謝したな。

で、クラス代表の話が出て、これはチャンスだ!って思ってさ。
強引で、お前には悪かったけど」

「ほんと、強引よ。もう」

蘭世は口を膨らませて、小意気に俊を睨みつけたが、心は躍っていた。
あの頃、同じように思っていたことが、その偶然だけがうれしかった。
強引だとは思いつつも、そのことで、蘭世の心が甘く騒いだのも事実なのだ。










「でもな、いつも他の女にしてるように口説けなかった。
お前、彼氏いるっていうし、
いや、それよりも・・・なんだか・・・・・
簡単に適当な言葉をかけちゃいけない気がしたんだ。
いま、思えばそれだけ本気になってたのかもしれねえな。。。

正直焦ったよ。
日を追うごとにお前の存在が俺の中で大きくなっていくのがわかっていた。
でも、それを認めるのが怖かった・・・。
認めてしまえば、もうお前と話すことさえできなくなりそうな気さえしてた。
どうしていいのか、どう接していいのかもわからなくて・・・

そんなとき、お前があの男と一緒にいるのを見たんだ。
わかってたことだけど、現実を目にすると結構堪えるんだよな。
お前の気持ちが俺にあるかも・・・なんて僅かな期待もまだ捨てられずにもいたし、
苛立って、どう消化していいかわからなくて、

だったら俺も・・・って思って陽子を誘ってた。
自分の気持ちを抑えるために
陽子を利用したんだ・・・・・。


軽蔑・・・・するか?・・・・するよな・・・。」












俊は何度か姿勢を変えながら話した。
その間に、蘭世の方に何度か目をやっていたが、
さほど、蘭世の反応は気にしていない様子だった。
それよりも、
押しつぶされそうになっていた自分の中の想いを
言葉として外に出すことで、いくぶん、すっきりしているようだった。








蘭世はこんな俊の姿を初めて見た。
クールなポーカーフェイスの奥にまさか、こんな葛藤があったなど、思いもよらなかった。
しかも、そうさせていた原因が、実は自分にあったということが、俄かに信じられなかった。
そんなそぶりはちっとも見せなかったし、
実際、俊の言う過去の自分というものを、俊の姿の中に見ていた。
特に軽蔑をしていたわけでもなく、そういう人だと思っていたのだ。
それよりも、今静かに語る俊の姿の方が蘭世には衝撃的だった。
そして、その衝撃によって
蘭世の心はさらに一層、俊の方に傾いていった。










「・・・・・・でもこれが俺のホントの気持ちだ。
誰にも話したことはない。




俺は、お前にマジになってる。




どうしようもないくらいに、お前に惚れちまってる・・・・・」
















俊の言葉が決定的なものになる。



「・・・・真壁くん・・・・・」


蘭世の瞳が涙で潤される。
奥からこみ上げてくる想いが、ぎゅっと蘭世の胸を締め付けた。






「軽蔑・・・・・・・なんて・・・・・しないわ・・・・・・」
蘭世はうつむいて、首を小さく左右に振りながら言った。
うつむいた瞬間に、涙がひざの上に零れ落ちた。



「江藤・・・・・・」

俊は蘭世の前にしゃがみこんで蘭世の頬に伝った涙を右手でそっと拭いた。





「私も・・・・私も同じだから・・・・・・」
蘭世はつまるようなか細い声で言った。











「真壁くんへの想いが、どんどん大きくなっていくことに
私はずっと気づかないフリをしてた。

怖かったの・・・。

好きっていっちゃったら、もう押さえられなくなると思った。

圭吾のこともあったし、
それに、真壁くんは私と噂になってもはっきり否定してたから、
迷惑なんだろうなって思ってたし・・・・」


「ばかっ!それはこっちのセリフだ。
お前が迷惑するだろうと思ってたんだよ!」


蘭世はまだまだ涙があふれ出そうな目で、俊を見て、小さく「バカ・・・」と言った。









俊の手は蘭世のひざの上に組まれたその手の上に載せられていた。
静かに2人が見つめ合う。

先ほどまで遠くの方で聞こえていた人ごみのざわめきが
いつしか聞こえなくなっていた。

側にあった鉄橋を幾度となく電車が往来していたが、
それも、無駄なBGMと化していた。
意識がそこまで届かないぐらい、2人はお互いに集中していた。



しんとした静けさが、さらに2人の距離を縮める。
この世で、まるで2人っきりになってしまったかのような
静けさだった。

耳を澄ませば、川の流れもさわさわと聞こえてきそうである。

だが、今は、そんなこともどうでもよかった。

体の中で大きく鳴っている鼓動は、自分のものなのか、それとも彼のものなのか・・・・
それすら判断できずに、蘭世は俊の瞳に答えを求める。
静かにゆっくりと流れていく時間の中で、
2人の気持ちが、それに合わせて、溶け合っていくようだった。

どうして、もっと早く、まっすぐに彼の瞳を見なかったのだろう・・・
惹かれるということを、こんなにもプラトニックな形で、体感できるものとは思っていなかった。
臆病という硬いガラスの枠を取り払った時、ホントの恋というものが
顔を見せる。
これが、ホントの恋というものなのだと蘭世は息を呑みながら実感した。



















「私も、・・・・・・もう押さえられない・・・・。
私も、真壁くんが・・・・・・好き・・・・・
もう一度・・・・・キスして・・・・・・・」









俊の返事を待たずして、
蘭世はそっと目を閉じながら、俊の唇に自分のものを寄せた。


初めて自分から与えたキスは、
ひどく、自分自身を官能的にさせた。
圭吾にも、自分からキスしたことはなかったかもしれないなと蘭世は目を閉じながら思っていた。
だが、そうせざるを得ないほど、
自分の気持ちは、完全に俊の方に駆け出していた。
頭で考えることではない。
心が体が俊を求めるのだ。
俊を呼んでいるのだ。








二度めの口付けは濃厚なものになった。
2人の気持ちを確認しあったからであろう。
そして、本物と呼べる恋を知った心が、その先を深く求めたからであろう。




蘭世は名残惜しそうに、俊の唇から自分を離した。
俊も同様に、離して蘭世の瞳を覗き込んだ。










「帰るか・・・・?」
俊はぼそっと言った。

「えっ?」
まだ頭の働ききっていない蘭世は、小さく首をかしげて聞いた。








「このままいると、お前を帰したくなくなる・・・・・・」
俊は視線を蘭世のもっと先にうつして、そっと蘭世を抱きしめた。
壊れ物を扱うような、そんな優しい抱擁だった。

「私は・・・・・・」
蘭世は俊の胸の中で大きな鼓動を聞きながら、そのあとを俊に託した。
それでもいいと思ったのは、素直な気持ちだった。








「今日は・・・・・・帰ろう」
俊はそっと身を離して、蘭世にそう言った。




「真壁くん・・・・・・」


「お前のこと・・・・大事にしたいんだ。
それにまだお前は人のものだ・・・・・・・・」


「・・・・・!!」
蘭世はぐっと胸を掴まれたように、息をのんだ。
そして、目を伏せた。




「もし、あいつと別れたら・・・・・俺のところに来い
俺も・・・・・・きっちりカタつけるから・・・・なっ」

そういって俊は蘭世の頭にポンと手を載せて、にっこりと笑った。



蘭世もそれにつられてこっくりと頷いた。





聞こえていなかった電車の音が、
大きく耳に響き始めて、
蘭世は目の前に立ちはだかった現実に目を向けた。















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