遠い夏は夢の如し







思いがけず、プチ同窓会に変更になった小さな宴は、予想外に終始和やかに時間が過ぎていた。

多少のアルコールが入っているせいか、それともそれぞれがそれなりに大人になったせいか・・・

始めは気まずい、含みのある沈黙が流れたりしたものの、

それもいつの間にか解きほどかれていた。

日野の冗談にゆりえがつっこみ、みんなで笑いあう・・・。

まるで高校時代にもどったかのような錯覚さえ受けた。



確かに4人でこういう風に笑いあったのはあの夏の日以来の事で、

今こうして4人でいることが、その夏の続きと見えてしまっても仕方ないのだが、

その間に、それぞれがそれぞれの道を歩み、その間の自分も確かに存在していたはずなのに、

それはまるで自分であって自分でないような、そんな妙な気分になった。





壁にかけられた時計の針は9時を回ろうとしていた。

圭吾は出張で帰りは遅くなるとのことだったが、蘭世はあまり自分が遅くなってもと

「もうそろそろ・・・」と切り出した。

久しぶりの空気にもっと浸っていたかったが、ここに長くいることにいささか、不安を覚えてもいた。

「泊まっていけばいいのに」というゆりえの誘いも、笑顔で返し、

「散らかしたままでごめんね」と言いながら蘭世が席を立とうとしたとき、

俊も同じように席を立った。

そして蘭世を見る。

「家どこ?」

「えっ?・・・あ、K町」

「電車?」

「うん」

「じゃぁ送ってくよ。俺もその先のS町にホテルとってあるから。同じ電車だろ?」

え・・・と立ち尽くしている蘭世をよそに、「それがいい、それがいい」と日野が手を叩きながら

立ち上がって、二人を玄関まで押していった。

「よし、真壁、江藤を頼んだぞ」

「えっ、ちょ、ちょっと・・・」

蘭世は懇願する目でゆりえを求めたが、ゆりえは複雑な笑みを浮かべたまま、だまってうなづいた。





人通りの少ない静かな道だった。

「チャンピオンのニュース・・・見たよ」

歩きながら蘭世はそう言った。

「あぁ」

「すごいね。おめでとう」

去年の秋、ニュースで俊がフェザー級で世界のタイトルを手にしたことを蘭世も耳にしていた。

俊の名前を見たとき、心臓がドキンと大きく跳ねたが、

それはあまりにも遠い世界のことに思えて、自分の愛していたあの彼であるということに

いまいち実感もわかなかった。

そして、そのことは、もう自分は乗り越えられたのだということの証であると蘭世は確信していた。

大丈夫。もう大丈夫なのだと・・・。

しかし、今こうして改めて出会ってしまい、明らかに動揺をしている自分に

蘭世は気づかざるをえなかった。

「いろんなものを犠牲にしたからな・・・タイトルくらい取らないと・・・」

フッと俊がはにかんだ。

二人の声が熱気を帯びた空気の中に反響しそうで、蘭世は思わず無口になる。



こうやって歩くのも久しぶりだ。

二人の歩幅も、歩くペースも違うはずなのに、ちっとも乱れずに見事に揃っていた。

その揃いように、蘭世は逆に動揺する。

俊が、昔と変わらずに蘭世に合わしてくれているのに気づいたとき、蘭世の鼓動は早くなった。

そしてそれを悟られないようにぐっと冷静を装った。

しかし、意識すればするほど、体はぎこちなく動くばかりで、蘭世はついに躓いた。



「おい、何やってんだ」

「あ・・・アハハ・・・ちょっと酔っちゃったかな?」

「大丈夫かよ。さっきも右手と右足同時に出てただろ」

「えっ・・・あ、バレてた?」

「フッ・・・相変わらずドンクセえな」

「ち、違うもん。たまたまよ!」

ぷっと頬を膨らませた蘭世を見て俊はアハハと笑った。

それにつられて蘭世も噴出して笑った。



あの頃と何ら変わらないように思えた。

まるであの夏から今日までが夢だったようにさえ思えた。

でも二人の間には明らかに不確かな意識が存在していて、お互いがそれをもてあましていた。

「そんなので、嫁になんかいけるのか・・・?」

俊は蘭世の方を見ることなしにつぶやいた。

蘭世にというよりも誰にともなく言ったような印象を受けた。

蘭世は口を噤む。

なんとなく避けていた話題だった。

二人だけではなく、日野もゆりえも最初にチラッと離しただけで、その後はその話題には触れなかった。

何をどう応えてよいのかわからない。

―――いろんなものを犠牲に・・・―――

俊のはなった言葉が頭の中で何度も響く。

俊があの夏の日、校庭を去っていく背中で伝えた「愛している」という言葉を

蘭世はけして忘れたわけではなかった。

だからこそ、3年もの間、引きずってしまっていたのだし、ずっとその言葉にとらわれていたのだ。

しかし、その間、何一つ連絡もないということが、結局のところ俊の答えだったのであろうし、

その現実を乗り越えてこその、圭吾との新しい人生だった。

ただ、今この時期になって、蘭世の前に俊が姿を見せたのは

蘭世にとって明らかに予想外のことで、

自分の心が、大きく揺れ動いていることに気づかないわけにはいかなかった。

だからこそ、思い切って揺らぎを断ち切るためにあの部屋をでようとしたのに

何かの思いがあったのか、俊は蘭世とともについてきて・・・

蘭世の動揺は大きくなるばかりで。

圭吾のことは大切で、それは変わらない事実なはず。

でも、あんな別れ方をした人が突然目の前に現れて、同じ笑顔でこちらを見ていることに

全く意識をしないこともできずに。。。

期待なんて求めているわけじゃないのに、心のどこかでもしかしたらなんて考えてしまう自分もイヤだったし、

圭吾を裏切ってしまいそうになる、それを止められないかもしれない自分もイヤだった。



「幸せになれると・・・思う・・・」

蘭世はやっとの思いで告げた。

大きく息を吐く。

わずかながらの決死の抵抗だった。

そうすることが自分のためなのだと自分に何度も言い聞かせる。

「そうか・・・おめでとう」

―――おめでとう―――

俊の言葉がズキンと蘭世の胸を打ち抜く。

痛い・・・。

呼吸ができない。

蘭世の瞳から突然、大粒の涙が溢れだす。

泣くつもりなんてなかったのに・・・

でもそれは決して祝福を受けたうれし涙なんかではないことに蘭世はきづいていた。

こんなにも心が呼んでいるのだ。

こんなにも心が叫んでいるのだ。

「江藤・・・」

俊がそうつぶやいたとき、蘭世はふっと意識が遠くなった。










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